なぜ「艇速が伸びないのか」を感覚で議論してしまうのか?
~「艇速を“見える形”で確認する方法としてMITA-ROW」~
感覚的議論とは、客観的なデータや数値に基づかず、個人の経験や印象、主観に頼った議論を指しますが、特に漕艇競技のように、リアルタイムで、漕手とそのオールの、正確なデータ取得が難しい場面では、各人の異なる動体視力や感覚に依存した意見交換が生じやすく、共通の基準がないため議論がまとまりにくいという事態が起こり得ます。
共有可能な客観的=物差し(数値化可能な)データは、今では、艇全体の速度と加速度は分かりますが、個々の漕手の艇速への寄与度については、正確な客観データは皆無に等しいのが実情です。
この様な場合、皆で「艇速を伸ばすためには」と協議する場合、確たる艇速への共有判断データが無く、各漕手の陸上トレーニングからの、心肺能力、筋力、走力、エルゴ値等々、各種情報が集められ、それら手持ち資料を基に、検討したり、はたまた、然るべき報告書や資料、噂話までを共有したりと、各クラブ夫々に苦心し、結論をまとめる上に、“優勝クラブの漕法やトレーニング法”や“レースに勝った経験の多い先輩の意見”が(説得力、発言力が自ずと強く)重要視される傾向にあります。
しかし、本来、乗艇中の漕手の艇速に寄与する基本とすべきデータ・情報として、全員が納得し共有し得る確たるものが、未だに無く、入り乱れる各個人の意見=感覚が飛び交う事になります。
従って、各自の推測から来る判断しか得られず、重要な、特に乗艇中の漕手とオールの動きを、共有出来る正しいデータとして入手出来無いと、艇を追いかけながら、外部から遠く眺める、あるいはビデオ等情報からの判断をする事になるが、動体視力の異なる個人感覚に基づく、霧中判断以上の事は期し難いと言える。
従って各自の判断に基づく議論となってしまうが、今迄は、動体視力と実績ある漕艇経験に裏付けられた指導者の判断=感覚に頼るしか方法は無いのが実情。
客観=数値データが得られ、共有出来る代表的なものとして、陸トレの代表のエルゴがあるが、このデータに基づく議論は、感覚議論では無いが、やはり艇速データと各漕手のエルゴ値の相関に終始しているのが現状です。
結論として、皆が納得し共有し得る、乗艇する漕手の艇速に関連する“直” 客観的なデータや数値データが無い事から、個人の判断=感覚となり、客観数値データが渇望される。
